FIAT の歴史1〜トッポリーノ誕生まで
2021年01月11日
いつもジロン自動車のブログをご覧いただき、ありがとうございます。
先日FCA の新人研修がオンラインにて行われ、フィアット、アバルト車についての講義を受けました。
その内容がなかなかに興味深いものでしたので、皆さまに共有できればと思います!!
既にご存知の方も多いとは思いますが、お付き合いいただければ幸いです。
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FIAT は、1899年、ジョバンニ・アニエッリを含む
イタリア北部の実業家9人によって設立されました。
FIATの名前は、
F FABBRICA 製造工場
I ITALIANA イタリア
A AUTOMOBILI 自動車
T TORINO トリノ
の頭文字をとったもので、日本語に訳しますと、
トリノのイタリア自動車製造工場
となります。
記念すべき FIAT 1号車 「3 2/1 HP」
その後1902年には先のジョバンニ・アニエッリが社長に就任しました。
ちなみにアニエッリ家は、現在のFIAT社の大株主でもあります。
偉大なるジョバンニ・アニエッリ
FIAT社は製品をアメリカ等へも輸出を開始
加えて、FIAT社のスローガンである「フィアット、陸に、海に、空に」の通り、
船舶や航空機用エンジンの生産も開始し、その地位を不動のものにしていきます。
FIAT社の初期エンブレム
1914年に第一次世界大戦が勃発し、軍需により莫大な利益を得たFIATは、
エンジンのみならず航空機の機体製造、製鉄業などにも進出し始めます。
そしてその資産を使い、1922年、有名なリンゴット工場が完成します。
その広さは15万3000? (東京ドーム3個分)、地上5階建て、
どでかい建屋の屋上にはなんとテストコースを完備、
オートメーション設備を完備した、当時では世界最先端の工場でした。
リンゴット工場
(現在ではショッピングモールを含む複合施設になっているようです。)
その後、1929年に発生した世界恐慌の影響で生産台数は半減しましたが、
1932年に発売した508/通称 BALILLA は、安価なモデルながらボディサイズ、シャシ構造が
上級モデルと同じということで顧客の心を掴み大ヒット、FIAT は経営を持ち直したのでした。
FIATを救った 508
初期生産モデルは最高速度85km/h、3速MTの4人乗りで、
約113,000台が生産されました。
508 BALILLA の成功を受け、1936年に 初代500・通称トッポリーノが開発されました。
このモデルは某歴史的有名女優が主演を務める、某映画にて使用され、大ヒットを収めたのでした。
トッポリーノはイタリア語で ハツカネズミの意で、顔がなんとなくネズミを連想させますね。
最高出力13馬力/最高速度は85km/hながら、燃費の面で従来の40%以上の改善がなされ、
成功の大きな要因となりました。
ローマの休日の1シーンとハツカネズミ
次回は第二次世界大戦を経て、2代目500・NUOVAの登場です!!