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カブトムシの話

2020年10月22日

 

いつもジロン自動車のブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

本日は、午後から雨の予報ということで、皆様傘の準備はしっかりと、

足元にお気をつけてお過ごしください。

 

 

さて、本日は趣向を変えて、ヨーロッパが生んだ伝説的大衆車、

VOLKS WAGEN TYPE 1 BEETLE

についてお話をさせて頂こうと思います。

 

 

ビートル今昔

 

 

クルマに興味がない方でも知っている、世界で一番有名な車といっても過言ではありません。

1938年から生産が開始され、第二次世界大戦の影響で一時存続も危ぶまれたものの、

メキシコをはじめとする中南米でなんと2003年まで生産が続き、

65年間でのべ2152万9464台のタイプ1が世に出ました。

これは、これまた伝説的大衆車の一つである、FORD T モデルを易々と超え、

世界で最も生産された単一モデル四輪自動車となっています。

ちなみに第二位のFORD T は1500万7033台

二輪車を含めるとホンダ・スーパーカブが2017年に1億台を突破(!)、その後も生産中

となります。

 

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時はさかのぼり1930年代、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツ

ベルリンモーターショーにおいて、アウトバーンの建設、国民車構想の計画を発表しました。

国民それぞれが自分の車を所有できるようにする、というものです。

当時庶民には自動車は高根の花だった時代、国民は彼の計画を熱狂的に支持しました。

 

その国民車計画をヒトラーより直々に依頼されたのが後にポルシェを設立する、

フェルナンド・ポルシェ博士であります。

 

偉大なるフェルナンド・ポルシェ博士

 

 

彼は生涯で3つの夢がありました。「高性能スポーツカー」「農業用トラクター」そして

「優秀な小型大衆車」の開発・生産でした。

 

ポルシェ博士は以前より「優秀な小型大衆車」の構想を練っていたものの、

総統より課せられた条件は厳しく、開発は難航しました。

しかし1935年・1936年にはダイムラー・ベンツにおいて最初のプロトタイプが完成。

ナチス親衛隊のドライバーたちがテストドライブを繰り返しました。

 

出来立てのアウトバーンを走る国民車試作車

 

 

ポルシェ博士はアメリカ、フォード社に遠征、マス・プロダクションのノウハウを得、

1938年には最終のプロトタイプが生産され、国民車構想計画達成まで

あと1歩というところまでたどり着きました。

 

しかし1939年、ナチス・ドイツはポーランドに侵攻、イギリス・フランスより宣戦布告を受け、

第二次世界大戦が勃発してしまいます。

総統による国民車構想は残念ながら中止となりました。。。

 

 

ということで今回はこのあたりで、次回は戦後のVW をご紹介させて頂こうと思いますので、

もうしばらくお付き合いください。

 

 

 

 

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