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ABARTHの話 その1 〜イタリア移住まで

2020年07月05日

 

いつもジロン自動車のブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

月も変わりましたので、本日からABARTH の成り立ちや特徴などを、

受講した研修の内容をもとに、みなさまにお伝えできればと思います。

お付き合いいただけましたら幸いです。

 

 

アバルトの設立以来の魅力の一つが、非力なマシンがメジャーなマシンたちを

次々と倒していったことにあるのではないでしょうか。

大衆車であるチンクエチェントを主なチューニングベース車としたアバルトの数々の勝利は、

「ジャイアントキラー」「ピッコロモンスター」とも呼ばれ、伝説にもなっています。

 

 

 

アバルトの設立者であるカルロ・アバルトは、1908年11月15日オーストリア・ウィーンで生まれました。

父親はイタリア系オーストリア人、母親はオーストリア人です。

出生時の名前はイタリア語系のカルロでなく、ドイツ語系のカールでした。

 

 

幼いころから機械工作に興味を持ったカールは、自転車レースでその才能を発揮し、

18歳になったころには地元ウィーンの自動車工場で働き始めます。

見習工として働き始める一方、二輪車レースの世界でメカニック兼ライダーとして活動し始めます。

その後、20歳で初めて二輪車の設計製作をしています。

 

 

 

 

1930年、22歳になったカールはバイクレースにて大事故を起こし、

一時は生命の危機にも瀕する重症に見舞われます。

以後医師より2輪レース活動を禁止されてしまうのでした。

 

 

しかしスピードへの情熱は消えることはなく、なんと3輪部門での復活を果たし、

活躍を重ねたのちは最強のサイドカー・レーサーの称号も獲得するに至りました。

 

最強のサイドカー・レーサー

 

 

 

その後世界情勢が緊迫してくる中、ドイツから起こったファシズムが支配したオーストリアを脱出。

比較的自由が認められていたイタリアへレースの拠点を移しました。1939年のことです。

 

父カールがイタリアでカルロとして生まれ、オーストリアでカールに名を変えたのとは逆に、

カールはイタリア移住を機に、カルロと名を変えたのは興味深いですね。

 

こんな感じで、ABARTHの歴史を紹介していこうと思いますので、

次回もご覧になっていただければと思います!!

 

 

 

 

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