FIATの話 その2〜F500 Nuova 誕生まで
2021年01月13日
いつもジロン自動車のブログをご覧いただき、ありがとうございます。
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さて、前回に引き続き、今回もFIAT社の過去を振り返っていこうと思います!
1936年に生産を開始したハツカネズミ(初代FIAT 500 トッポリーノ)の大成功で
勢いに乗ったFIATは、1939年、現在のFIAT 本拠地でもある、ミラフィオーリ工場を完成させます。
街みたいですね
敷地面積は100万平方メートルで、生産ラインを同一階で行う、一大拠点です。
しかし翌年1940年からイタリアも参戦した第二次世界大戦の影響により、
戦災でこのミラフィオーリ工場の大部分を焼失、戦後の年間生産台数は10年前の1割となり、
またジョバンニ・アニエッリはイタリアの軍需産業においての重要人物であったために
イタリア解放委員会によりフィアット社の経営その他公職から追放の憂き目に遭います。
かわいそうなジョバンニ・アニエッリ
そんな戦後の混乱期にあるFIAT社は、小型車を次々に開発・販売させる新しい策を打ち出し、
4年後の1949年には年間生産台数が70,000台を超え、見事に復活したのでした。
その頃のFIAT エンブレム
1950年、FIAT 1400がデビュー。フィアット初のモノコック式、ディーゼルエンジンの採用と、
新しい技術をFIATはどんどんと取り入れていきました。
FIAT 1400
そして1957年、FIAT の代名詞でもある2代目500 Nuova がデビュー。
フィアット初の空冷2気筒エンジン、最高速度は85km/h ながら、
そのキュートなルックスと買い求めやすい価格の大衆車は大ヒット、
イタリアの街々はこのFIAT 500で埋め尽くされたといいます。
50年以上前のクルマながら今でも多くの現役車が走る 2代目 500
ちなみに500の読み方は、正確には「ゴヒャク」ではなく、「チンクエチェント」。
CINQUE = 5
CENTO = 100 の意です。
現行 FIAT チンクエチェントは、まさしくこの2代目500を現代に巧く蘇らせたクルマです!!
ということで、第2回はこの辺で!